好きな種目は自由形、どうも部長です。
皆さんは自分がどれくらい自由に生きていると感じているでしょうか?
部長は自由に生きていくために何が必要なのか、いつも自分に問いかけています。
その際、2つの自由について意識しています。
2つの自由を意識する
自由に生きるには2つの自由が必要です。
物理的な自由と精神的な自由です。
物理的な自由とは
衣食住、身体に関することで、ストレスなく生活できる状態
(お金で手に入れられることも多い)
精神的な自由とは
心がいつも穏やかな状態で執着から解き放たれている状態
(お金で手に入れられないことが多い)
2つの自由があってこそ自由
物理的な自由と精神的な自由、この2つの自由が得られないと本当の意味で自由になったとは言えないでしょう。
例えば、物理的に困窮していれば程度の差こそあれ、精神的な悪影響は避けられません。
そして、精神的な圧迫があれば、経済的にいくら自由であっても心穏やかには過ごせないでしょう。
精神的な自由だけの場合
ここで、高僧のような修行を積んだ方はどうだ?と問われるかもしれません。
何も持っていないが精神的には自由であるはずだ、と主張されることも理解できます。
そんな状態でも自由を得られるのが、本来目指すところなのでしょう。
ですが、衣食住がない状態だと非常に苦しむことになるのは明らかです。
お布施や托鉢、寄付のような社会文化が物質的な自由をバックアップしていると考えるべきでしょう。
東南アジアの国々では、僧侶は寄付をもらう文化も多く、公共交通機関はタダで乗れたりします。
やはりどこかに物理的な保証があるものです。
経済的な自由だけの場合
経済的な自由=心もハッピー、と単純にはいかないでしょう。
そうならば、富豪=全員幸せな人になってしまいます。
もし、違法な方法で富を得たのであれば当然のこと、精神的な平穏は訪れません。
いつも何かに怯えて暮らさなければならないのですから当然です。
そして、真っ当な方法で富を得たとしても、得る過程で執着が芽生えてしまいます。
それは地位の高い人や、富豪と呼ばれる人に、執着が強く伺えることからもわかります。
自分はうまくやってきたという自負があれば、自分の考えが常に正しい、ということに振り回されます。
また、富があると、その状態に慣れてしまい、次には失う不安から、さらに多くを求めることでしょう。
これらはすべて執着が原因なのです。
2つの自由を手に入れるために必要なこと
物理的な自由を得るためには
能力を身につけること、これに尽きます。
もし、莫大な遺産があるような場合でも、能力がないとその状態を維持すらできません。
御曹司がカジノで、、、なんてのはその典型ですね。
精神的な自由を得るためには
執着を捨てることができる唯一のことです。
執着は体に巻き付いた鎖や重りと考えるとわかりやすいですね。
あればあるほど自分を苦しめることになります。
もし、自分の心の平穏が乱されそうになった時は、客観的に考えてみるといいかもしれません。
そして自分に言い聞かせるのです、執着を捨てよ、と。
常に両方の自由を目指すこと
多くの人は物理的な豊かさをまず目指すことが多いかと思います。
それは当然のことで、大切なことでしょう。
しかし、同時に精神的な豊かさも目指すべきなのです。
どちらも一朝一夕で得られるものではありません。
なので常に心の豊かさを求める、つまり執着を捨てていくことが自由への鍵になってくるのでしょう。
何かの判断をする時、執着をより多く捨てられる方を選ぶように、部長は心がけています。