どうも、部長です。
突然だが、皆さんは自分は恵まれていると考えているだろうか?
部長は育った環境が芳しくなかったので、ワープアど真ん中な状況でも割と恵まれているのでは、と思っている。
多くの方からすればとんでもないポジティブシンカーだと思われるが、昔からそんな傾向があり、とりあえずなんでもプラスに捉えてきた。
そして世間では当然のようにポジティブシンキングが良いこととされており、本やセミナーでも一大テーマとなっている。(以下、ポジティブシンキングとプラス思考を同義としています)
プラス思考は本当に良いことなのだろうか?
一般的には良い風潮が圧倒的に強いが、それを実際に実践してきた結果、部長はワープアど真ん中、お先真っ暗の状況に陥ってしまった。
おそらくこのまま同じことをしていても、この現状は変わらないだろう。
むしろ、日々若さを捨てているわけで、尻すぼみの人生になって行く可能性の方が大きい。
なんとか、この状況から抜け出すためには今までの延長線で物事を考えてはいけない。
自分のしてきたことを疑い、別人のごとく頭を切り替える必要があると思っている。
なぜこう考えるようになったのか?
それは、自分が恵まれていると考え続けた結果、動きが非常に鈍くなってしまったからだ。
例えばの話だが、転職することが自分の将来のためになる、と薄々気づいている人がいるとしよう。
このままでは能力が上がらない、チャンスを掴みに行けない、暮らしが良くならない、、、など人それぞれ様々な理由があるだろう。
そんな時に自分は恵まれた環境にいる、と力技で無理矢理にもプラスに考えていたらどうなるだろうか。
その人はこう思うはずだ。
この仕事を辞めるのはもったいない、今までの苦労が水の泡だ、とりあえず食べて行けてるし、、、などいろんな理由をつけてその場にとどまろうとするだろう。
できれば動きたくないという、強い慣性の法則なるものが働いてしまうからだ。
逆に、自分は恵まれた環境にはいないことをはっきり自覚していれば、さっさと退職届を提出して未知の世界へ飛び込んで行くことだろう。
事実、部長は前職の退職に際して、なんの迷いもなかった。
会社の規模が大きかったため、自分の力でできることが限定的だった。
それは当時の部長青年にとっては致命的であり、プラス思考ではあったが、仕事環境で恵まれていると思ったことは一度もなかった。
当時は無理にプラス思考することなく、組織っていうのはそういうものだ、と淡々と捉えていた。
だからこそ、退職を迷うことなく決断し、辞表を提出することができた。
正直、その決断は今でも正しかったと思うし、何年続けていても得られるものも少なかったに違いない。
プラス思考より客観思考
だから今、部長は思っている。
自分の置かれた状況、環境を無理にプラスに捉える必要はない。
本当の自分がどう思っているのか客観的に捉えることが必要だと。
ではどうすればそれができるのだろうか。
ありふれた方法かもしれないが、若かりし時の自分に語りかけるようにアドバイスをしてみよう。
”ちょっと世界を疑ってみよう、無理にポジティブシンキングしなくて良いよ”と。
そうすると、少しずつではあるが、客観的に自分の置かれた状況が見えてくるはずだ。
プラス思考が弊害になる可能性も
プラス思考が弊害となる可能性についてはあまり触れられないが、実際のところマイナスに働く可能性もあるということを覚えていたい。
特に労働者の不満を逃す方法や緩和策として使われることもよくある。
社畜には汗をかいて夢を語らせ、現状を認識不可能にさせる。
某ビジネス参加者には夢、希望、仲間、、、と全員同じ言葉を話させる。
だからこそ、自分の人生は自分で決めたいと思うなら、プラス思考よりも客観的な思考の方が大切だ。
何か引っかかると感じたら、無条件にプラスに考えるより、客観的に考える癖をつけよう。
部長自身へ、戒めとしたい。